歳をとること
空港についたら雪だるまが迎えてくれました。 みつです。
部下がつかないキャリアを歩んできたせいか,まだまだ若造だと思っていた自分ですが,もう前厄ということで初詣の時に厄払いなぞしてもらってきました。
自分は大丈夫(若い)と思う反面,物事に自然と億劫がっている自分に気がつく時があります。若い時は単なる「怠惰」で済ませられたものでしたが,変化に対して畏敬から恐怖に変わっているのかなどと考えてみたりもします。
自分ではチャレンジをしたつもりでも,振り返ると一番変化が少ない(安定した)選択をしてしまったという気持ちが払拭できないことがあります。歳をとるってことは自分に「しょうがない」と説得させる術を身につけるやっかいなものだと感じます。
90歳を越した祖母は足と手を悪くしてから好きだった趣味ができなくなり,祖父の墓参りを兼ねた旅行もぱたりと少なく外に出かけることもなくなりました。
正月に会った時に「私は何をすればいいんだい?」という愚痴とも悲哀にも似た問いかけに私はたじろいでしまいました。気晴らしに外でも出かけようかと返事をしたのですが断られてしまいました。生活に変化を求めていた言葉ではあったのですが,実際の変化は自分ではしたくないというわけです。
まるで退屈している王様が探検や冒険話を聞きたいのだけど,実際の探検には出かけたくはないのと同じように。
出来ていたことができなくなり,「しょうがない」とあきらめつつもそれに苛立つ気持ちが「何をしたらいいんだい?」に繋がってくるのでしょうが,単に現状を嘆くだけでは誰もそこから救ってくれるわけではない(救おうと声をかける人たちは逆に危ない)ので,いまの自分でできることを見つけて実際に手を動かす。
ある程度のスパンでの目標として定められるものができたら良いななどと漠然と考えています。
今年の目標はどうしよう…
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