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2011年3月の2件の投稿

2011.03.27

地震による帰宅難民

もう2週間経ったのかと思うくらい長い感じもしますが,今のうちに当時のことをメモろうと思っています.

同僚宅にやっかいになり,夕食をごちそうになりながらも,テレビではずーっと地震と津波の状況,都心の交通機関の運行情報が流れている.
この時はまだ福島の原発についてはあまり表立ってでてきていない.

UQWiMAXが使えるのでMacBookAirに繋げてネットからの情報をとると,東海道線は運休を決めたようだ.ただ東海道新幹線は動いているようで,それで帰ろうという人をTwitterで何人か見かけた.
夜になると両親からはSkypeで少し連絡をとり,その日は休む事にした.
夜中にいくつかの余震を感じたけれども,朝まで布団からは出ずにすんだ.

翌朝,ネットを繋ぐと帰宅できなかった人が交通機関に殺到しているようで,駅はどこもパニックに近い状況を伝えていた.都内の地下鉄は昨日から動いていたが,JRが2−5割程度の運行だった.
その中でも東海道新幹線の情報は少なかったが逆に言うとまだマシなんだろうという推測の元に,同僚宅を後にして一路東京駅に向かう事にした.

土曜日であったが浅草線は平日のラッシュ時のような混雑さではあったけれども,みんさ比較的冷静だったと思う.自分はもしこの時に大きな余震がきたらどうしようなどと考えたり,日本橋の地下通路にある売店では既に働いている人がいて,ありがたいなと感じつつ東京駅へ向かった.

東京駅ではホームへの入場制限がされていたけれども,新幹線は制限されていなかった.
券売機で小田原までのチケットを購入しホームに行ったところ,名古屋行きのこだまがすぐに発車した.当然すわれる事もなく通路で立っていた訳だけど,周りの人たちは仕事で東京に来た人たちがほとんどのように感じた.このころには携帯の電話も通じはじめているので仕事内容の電話をしている人たちが多かった.

新幹線も止まるかと思っていたけれどもスムーズに小田原まで着いた,ホームに降り立つと自分と同じような人たちが結構多かったことに驚いた.それでも40分くらいで着いたのだから東京駅で待っているよりもずっとよかっただろう.
上りの東海道線も3割程度だったけれども座ることができて,無事に最寄り駅まで着く事ができた.

首都圏直下型の地震ではなかったため,交通機関が壊滅的な状況にならなかったので翌日には帰宅する事ができたが,交通機関の麻痺だけでもこれだけの帰宅難民が出てしまうのかとかなり不安になってしまった.自分の場合は川だけでも,隅田川,多摩川など大きな河川を超えなければいけないので,もし橋などが分断されていたらまず無理と思った方がよいのだろう.

東北地方の被害状況をテレビやネットで情報を得ながら,もしもの想定について考えていた.
この頃になってくると輪番停電や原発の情報がでてくるようになってきた.

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2011.03.20

東日本大震災

3月11日、その時僕は会社のモニターがまた揺れているなとしか思わなかった。
まるで映画の1シーンの様に段々とモニターの揺れが収まるどころか、段々と大きくなってくる。

おそらく、生まれて初めて怖いと思って机の下に隠れたと思う。震度5+だったけど会社はあと3揺れくらいで倒れるところだった本棚から数冊倒れたぐらいだった。

その後も大きな余震があったけど、停電などなくネットも繋がっていたので、すぐに情報が入ることができたのがとても助かった。
家の電話と携帯電話、SMSがまったく使えない状態であったが、家族とFaceTimeが繋がってくれたのは幸運だった。公民館にいっていたようだが、地震後に家に戻ってきたらしい。東電の発表では当日の停電地区だったが停電もなくネットも使えていた。

田舎の両親とはSkypeで話が出来た。すぐに立ち上げるかと思ったけど地震が起きて3時間以上たってからだった。

初日に感じたのはネットの接続多様性が非常時てもある程度有効だということであった。
事の事態を認識した瞬間に帰宅難民になることはわかったので、会社から徒歩圏にある同僚宅に厄介になり、明日以降をどうするかを考えたのだった。

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