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2007.09.02

暑い夏に思い出すこと

ようやく暑かった夏も終わりを告げようとしている。
家から駅までにつづく百日紅の赤や白、紫の花もほころび始め、朝の通勤時の蝉の声もうるさく感じなくなってきた。

今年の夏は暑かったがいくつかの思い出もやはり暑い夏の日だった。

日航機の墜落事故の時は、まだ実家にいて、ちょうど父の手伝いをしていた。
たしか今年も出ていた、ヒグマ打線こと駒大岩見沢の甲子園のベスト8を賭けた試合の日だった(と思う)が、車のラジオつけっぱなしで聞きながら手伝いをしていたときに速報が飛び込んできた。
ヒグマ打線の結果は忘れてしまったが、お昼をとりに家へ戻るとテレビからは事故と坂本九さんのことがずーっとながれていた。上を向いて歩こうが流れていた。

神戸の震災があった年の「夏・長崎から」だった。
さださんのトークで聞かされていた急行雲仙の話ではないが、直角座席で夜行列車に乗ってみようと思い立ち、青春18切符を購入し、もういまは無くなってしまったが、大垣行きの東海道線の最終に川崎駅から乗り込んだ。
夏休みということもあり、ほぼ満員だったけど、うまい具合にボックスの1つを確保できて、まだ東京へ出てきて慣れない生活を振り返りながら真っ暗な外を眺めていた。
今はムーンライトながらに置き換わってしまったが、ボックス席の夜行は苦行でもないが、ある種の熱気と冷静を感じつつも暗闇のなかを走る。何気なく目が覚めた浜松へは1時を過ぎていて、薄暗いホームに静かに停車していた。
当然青春18なので新幹線には乗れないのだが、ポケット時刻表を片手に乗り継ぐ駅を探していく。
そんなときに、西ノ宮を通過するときに愕然とした景色が広がっていた。駅前のそごう(だと思う)がまだ瓦礫の山になっていて、工事がまだ行われていた。テレビでは震災の様子が報道されなくなってきていたが、ここではまだ続いていることだと認識させられた。
その日初めて広島入りした。その日は広島球場で広島-巨人戦が行われていた。
ガイドブックで調べていたお好み焼き屋で初めてお好み焼きが主食になると感じた。テレビには桑田が投げ勝っている姿が映り応援する声を上げたかったが、そんな声を出すとお店から帰られないのではという気持ちにもさせられた。
この被爆50年だったこの年に「夏長崎から」で初めて「広島の空」を生で聞いた。

そういえば、「夏・長崎から」で初めて聞いた曲も思い出深い。
初めて「夏・長崎から」へ行った90年の時、自由飛行館に初めて入り一息入れると、いままでに聞いたことのない曲がかかっていた。
それは夢回帰線Ⅱだった。
Song for a friend は高校生の私にとって(そして今でも)とてもインパクトのある曲だ。
10年以上も想いを寄せ、幾度と無く打ちのめされていた私にとって、この曲は新たな出発であり、実は諦めでもあり、ほんの少しの望みでもあった。
ふとした時に「あのときの選択」をひどく後悔することがある。そんな時にはやはりこの曲が救ってくれる。

ヒグラシと共に虫の音が聞こえてきた。

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